パルメニデスの跡を継ぐ
パラドックスの名手?ゼノン
前回南イタリアの地域にエレア学派という新たな哲学上の一派が生まれ、その始祖であるパルメニデスについて見てきました。確かにエレア学派といっても有名なのはパルメニデスですし独創性という面ではパルメニデスの才を超える人物は少なくとも断片を見る限り他にはいないでしょう。しかし学派というからには一人だけ説明するというわけにもいかないでしょうし、独創的ではないからといって全く紹介しないのも惜しいという人々がいます。そういうわけで、エレア学派のうちゼノンとメリッソスという二名を紹介して、エレア学派の説明を終えたいと思います。
ゼノン(Zenon 前494年頃〜前430年頃?)はパルメニデスの弟子です。同じくエレアの土地に生まれて過ごし、最後にはこの地の僭主に殺されたといいます。それが政治的にも力をもって関わっていただろうことの根拠にもなっています。
実はゼノンの真正断片に関してはディールス・クランツでも四篇紹介されていますが、その真偽は疑われてもいます。それにその中には有名な「ゼノンのパラドックス」に関わるものがありません。なので色々と不確かな人物なのです。彼の論説を伝える重要なもので古いものにはプラトンの書いた『パルメニデス』という作品(128C-Dあたり)があります。さらにパラドックスに関してはアリストテレスの『自然学』の第六巻に載っています。ちなみにパラドックスのパラもドクサも様々意味がありますがここではパラは「逸する」、ドクサは「考え、常識」とでも考えておけばいいでしょう。「矛盾ある言説」という感じでしょうか。
さて有名なといっても狭い世界での話です。聞いたことがあったらくどくてすみませんが、その有名な「ゼノンのパラドックス」のうちちょっと「アキレウスと亀」というものを一つ紹介しましょう。アキレウスはホメロスの『イリアス』に登場する半神で、最も足の速い者の例として挙げられています。亀はアリストテレスが直接例として挙げているわけではないのですが、ともかく最も足の遅い者の例です。今、亀がアキレウスよりも先を歩いていて、アキレウスがその十倍の速さで追いつこうとします。どうなるでしょう。お考えの通りすぐにアキレウスが追い越します。しかしゼノンはこれを論理の上では「アキレウスは亀に一生追いつけない」という結論を導いてみせるのです。・・・というのも、アキレウスは確かに十倍速く走り、一番最初に亀がいた地点に辿り着くのですが、その時アキレウスが進んだ距離の十分の一の距離を亀は既に歩いているのです。またアキレウスが追いつく時には亀がその十分の一先に、またとこれを繰り返せばアキレウスは永遠に亀に追いつけなくなるというのです。
まあおかしなことは分かります。やっぱり現実世界ではアキレウスは亀を追い抜くのです。そんな速さの亀がいたら亀をあえて選ばないとは思いますが仮に亀が1m/sで動き、アキレウスは10m/sで動く時、亀が元々100m 先にいればアキレウスは10秒後には元々亀のいたところに着きます。その時亀は10mアキレウスより前にいます。そしてその1秒後には亀がいたところにアキレウスが着きますが、その時亀は1m前にいます。その0.1秒後…、というふうにやれば分かりますが、11.1111111111…秒後にはアキレウスは亀に追いつくことになります。どうあがいても12秒後には追い越しているのです。
しかしこのように考えてみるとどうでしょうか。私たちは無限小数を使ってアキレウスが亀に追いつく時間をたしかに表現はできますがこれは確かに無限なので両者が追いつくその「瞬間」をきちんと求められてはいないわけです。その意味では「アキレウスは亀を追い越すが、亀に追いつきはしない」とでも言えそうです。パラドックスとも、言えそうですね。
師を庇う皮肉の楯 ゼノンの応戦
さて、ではゼノンはこのパラドックスを何に用いたのでしょうか。それは師であるパルメニデスの説が馬鹿にされる時に対する返しとして、もし嗤ってくる人びとの意見を取り入れたとしたらこんなことに陥るというどこか意地の悪いやり方を用いたのでした。これほど何というかトンチの効いたからかいでもなければ少しソクラテスにも似たやり方かも知れません。やっぱりそういう反映もあったのではないかとさえ思えてくるのですがこの、パルメニデスを庇って人々の意見に乗っかって矛盾に陥れるというゼノンのやり方の描写はソクラテスに学んだプラトンによって『パルメニデス』の中で描かれるものです。
ゼノンは一体どんなことについてその陥れの術を用いたのでしょうか。よく取り上げられるのは今述べたような運動に関わるパラドックスと「多」についてのことです。
「運動」についてはさっきの「アキレウスと亀」の話である程度語ったので残すところの「多」について見てみましょう。これはパルメニデスが万物はすべて「一」であると唱えたことを庇うために「多」を否定するというゼノンの議論です。・・・どういうことでしょう。ちょっと振り返っておくと、パルメニデスの話だと、すべてのものは「ある」ので、例えば粘土を複数に分けたとしてもその間には空気にしろなんにしろ「ある」ので「無」が入り込まないで途切れないですから全ては繋がっている、「一」であるという考えがありました。「多」というのはその逆で、この世のものは一つにつながっているのではなく別のバラバラなものがたくさんあるという考えです。ゼノンはそれを次のように言って反論します。
もし「一」があるのだとしたら、まず一つの「ある」塊Aを考えられます。しかし「多」なら、それは一つの塊ではいられないので、塊Bだとか塊Cだとかができそうなものですが、そうなると今言ったように、塊Aやら塊Bやらを分ける間に「あらぬ」が入ることになるのでこれらの塊A、B、…は全部くっついていないといけません。或いはこの間をまた新たな塊Xとかとしてもいいですが、状況的には塊が全部くっついている、接しているので同じことです。まあこの時点でパルメニデスと同じやりかたで「多」の反論は終わっているのですが、ゼノンはさらに執拗に考えていきます。
なるほど、「多」が成り立つと仮定しておこう、といった具合で。すると、塊は一つなのですが、その中に部分がA、B、C、…とできることになります。でも新しくできた塊たちもそれが「一」ではなく、仮定に従えば「多」なわけですから、また分けたBを分割してDと Eに、またDを分割してとどんどん小さくできます。するとどうでしょう。この部分を無限なほどに分けてしまえば、一つ一つの部分は無限なほどに小さい「多」なのですが、じゃあそれらを全部合わせてみた最初の塊はどんな大きさでも無限なほどに集めてきたら無限なほどに大きい「多」になるので、それらは同じものなのですが、同時にもっとも小さく、もっとも大きいものになるというのです。同時に「無限に大きく」「無限に小さい」という二つが成り立つわけはないので、そもそも仮定が間違えていたのでは? ということになります。塊Aが「一」なら、どんなに細かく分割したところで、それを合わせても無限に大きくはなりません。その合計は「一」と決まっていますから。
この議論も踏まえ、ゼノンは次のような「多」の矛盾を「無限」という不可能な結論に導くものだとして述べます。
断片3
「もし多があるなら、それらはそれらがあるだけ、ちょうどそれだけであるはずであって、それより多くあっても、少なくあってもならないのだ。だが、それらがあるだけ、ちょうどそれだけあるのなら、それらは(数的に)有限なものであろう。もし多があるなら、あるものどもは無限である。なぜなら、あるものどもの中間には、つねに他のものどもがあり、さらに、この他のものどもの中間には、またべつのものどもがあるのだ。かくて、あるものどもは無限である。」『ソクラテス以前の哲学者たち』p. 264
まあほとんど数量版の「アキレウスと亀」です。塊を分割することはそれ以上分割できないところまではできますがどこかで止まらなければなりません。大きさを持たないくらいまで小さく分けることができたとしたら、それを合わせてもできるのは無です。ゼロに何を掛けてもゼロという奴ですね。となるとやっぱり「ある」以上は部分はどこか限界までしか切り刻めません。部分は有限個なのです。
ゼノンの論理は古代のギリシアでは結構有効というか、他の人々にもよく採用されます。「無限遡及法」とかいうふうにも呼ばれたりしますが、要するにそれを繰り返し続けたらやがて無理が来るだろう?というやり方です。分けられたものでもそれが大きさをもっている以上は必ずその真ん中を持つのであって、ならば、まだ分けられるのです。ならばそれはやはり無限に分けられる真ん中が出てきますから部分は無限個だといいます。それは無理だろう、と。分けられる限界を原子やそれ以上細かい素粒子として知っている私たちからしたら、その答えは有限個だと分かりますが、どうにもやっぱりゼノンはこうして論理をこねて日常的に当たり前に受け入れられていることも疑ってきちんと考えなければ、こうした搦め手によってあたかも足元を掬われたような形に陥ってしまうぞということを教えているようなところがあります。これを本格的に教育的なやり方に転じたのはソクラテスですが、やっぱりその始まりをゼノンに見てみてもいいのでしょう。ソクラテスの対話法もゼノンのやり方と同じ名前、「ディアレクティケ」と言います。少なくともその発見者をアリストテレスはこのゼノンに帰しているのです。
簡潔明瞭なパルメニデス? メリッソス
メリッソス(Melissos 前470-?)はエレアからは遠く離れた、ピュタゴラスにゆかりあるイオニアのサモス島に生まれてそこからやってきた人です。記録にはなんと前441年ころサモス軍を率いてアテナイの大将軍ペリクレスと戦い艦隊を負かした話があり、大分長いこと故郷にいたようです。
彼の思想は基本的にはパルメニデスと同じものです。断片1はパルメニデスの思想をむしろ一番簡潔に表現しているのではないかなとさえ思えます。
断片1
「あったものは何であれ、つねにあったし、またつねにあるだろう。なぜなら、もしそれが生じたのであるなら生じる前には、それはあらぬものでなければならぬことになるからだ。だが、それがあらぬものであったとすれば、あらぬものから何かが生じてくることはまったく不可能であるからだ。」同書p. 265
しかし完全にパルメニデスと同じであればわざわざ記録に残したとてわざわざ取り上げられません。メリッソスはいくつかの哲学書ではページ数の都合上よく省かれる人ですが例えば次のような違いがあります。まず、パルメニデスはあの長い断片8の中で次のように言っていました。
(パルメニデス)断片8抜粋
「なぜなら力強い必然の女神(アナンケ)が限界の縛めのなかでそれをとらえているからだ。限界が、あるもののまわりをしっかり固めているのだ。」同書 p. 257
ちょっと例の如く分かりにくい感じですが、すなわちゼノンもそのように先ほど位置付けていた通り、「一」は有限なのです。ゼノンは「多」ならば無限でそれゆえ誤りだと遠まわしにパラドックスで示していました。しかしこれに対してメリッソスは断片2、5の中で次のように言います。
(メリッソス)断片2抜粋
「それは生じてきたものではないのだから、現にあり、永遠にあったし、また永遠にあるだろう、そして始めも終わりももたず、無限である。」同書 p. 266(メリッソス)断片5
「なぜなら、もしそれが無限であるなら、それは一であるだろうからだ。なぜなら、もしそれが二であるなら、二は無限であることはできないで、互いに対して限界をもつことになるだろうからだ。」同書 p. 266
つまり、「あらぬ」ということはないのだから、「ある」の外にだって「ある」しかなく、結局無限に「ある」があるということではないかというわけです。これはパルメニデスの論に従えば極めて妥当な意見だと思います。恐らく、パルメニデスは「あらぬ」も在ると考えているのだと思います。それが人間の探究できる道ではないというだけで。このあたりは詳しくは前回の記事を見て見てください。しかしメリッソスはあくまで人間の道から言ってその立場を徹底します。どうせ、「あらぬ」があったところで、人間には存在しないも同じだと。
そこからメリッソスは「運動」までも否定してしまいます。ボールで遊ぶ時、ボールは投げられたり打たれたり蹴られたりして飛んでいきます。それはボールが箱にぎゅうぎゅうに入れられているのではなく自由に動ける広いスペースがあるからです。しかし「ある」ものは今見たように無限なのでその外に動けるスペースがありません。「ある」でぎゅうぎゅうになっているというのです。なので動こうにも動ける場所がないので運動などはなく常に止まっているといいます。これを「空虚(ケノン)はあらぬ」と言っています(断片7(7))。ちょっとこのあたりはいかがでしょうね。
最後にまた考察の余地をもたらす哲学的なことも言っています。
断片9
「あるものがあるとすれば、それは一としてあるのでなければならない。他方、もしそれが一であるなら、それは身体をもたぬことが必然である。だが、それが厚さをもつなら、部分をもつことになるだろう。そしてそれはもはや一ではないだろう。」同書 p. 270
「身体をもたぬ」というのは非物質的なものだという風に言われています。つまり、メリッソスにとって「ある」もの、一なる者は眼に見える存在たちを背後に存在しているような、存在しているように現れることのない原理のように考えられるかも知れないのです。
しかし、さっきの空間的に無限である「ある」というのと「身体をもたぬ」というのは上手く噛み合いません。メリッソスは恐らく自身の推論の果てに両論を導き出したものと見えますがしかしこれらを両立させることまではしなかったと見てもいいのではないかと思います。この世にあるものとその背後にあるもの、そこまでを論理だてて説明しきったのなら、メリッソスはプラトン以前のプラトンです。しかし両者の統合はプラトンやアリストテレスまで待たなければならないとはいえ、メリッソスの時点で、パルメニデス流の「存在について」の問いには少しずつ後の偉大な思想の萌芽があったと見るのも面白いかもしれません。
前回のパート
https://doma-on-the-margins-of-thought-history.com/western-history-part6/
次のパート
今回の参考書籍
・『哲学の歴史 第一巻 哲学誕生 始まりとしてのギリシア』
中央公論新社 2008年 責任編集:内山勝利
・『A New History of Western Philosophy In Four Parts』
Oxford University Press 2010 著:Anthony Kenny
・『ギリシア哲学史』
筑摩書房 2021年 著:納富信留
・『概念と歴史がわかる西洋哲学小辞典』
筑摩書房 2011年 編者:生松敬三、木田元、伊藤俊太郎、岩田靖夫
・『ギリシアの哲学者たち』
著:W.K.G.ガスリー 訳:式部久、澄田浩 理想社1973年
・『古代哲学史 タレスからアウグスティヌスまで』
著:A.H.アームストロング 訳:岡野昌雄、川田親之 みすず書房1987年
・『西洋哲学史 古代から中世へ』
著:熊野純彦 岩波書店2006年
・『西洋哲学史 上巻』
著:A.シュヴェーグラー 訳:谷川徹三、松村一人 岩波書店1939年
・『ソクラテス以前の哲学者たち』
著:廣川洋一 講談社学術文庫1997年
・『ソクラテス以前以後』
著:F.M.コーンフォード 訳:山田道夫
