「万物の根源アルケー」
こちらが祖? アナクシマンドロス
前回から、アリストテレス以来の伝統に従って哲学の歴史が幕を開けました。それはホメロスの生きた地イオニア地方で、その中でも特に富裕な商業都市「ミレトス」で三人の哲学者が生まれ、彼らは「ミレトス学派」と呼ばれ、いわゆる「イオニア自然哲学」を確立しました。そのうち前回はその祖にして哲学全体においてもその祖に位置付けられたタレスを紹介しました。彼らの疑問は常にとどまらずうごめく世界の根底にあり、あらゆるものを支配して存在を成り立たせている不変の何か、「アルケー」を見出すことで、そのうちタレスは「水(あるいは湿り)」としたのでした。今回は彼に続く人たを見ます。
アリストテレスは確かにタレスを哲学の祖としましたが、しかし誰もがそうと認めていたわけではありませんでした。第一タレスには彼が何か記述を残しているわけではないような人物ですし、何か哲学として論理だてられた主張をしているわけでもありませんでした。3世紀古代ローマの著作家ディオゲネス・ラエルティオスはむしろその次に出たアナクシマンドロスを哲学の祖においています。ついでに言うとアリストテレスは『形而上学』の中ではタレスの次にアナクシマンドロスの名を一切出さず、別の『自然学』という書物の中で出しています。
アナクシマンドロス(Anaximandros 前610頃ー前546年頃)は先にも出たタレスの弟子或いは同輩とも呼ばれますがともかく彼より一世代若い人です(年齢で言うと14ほど年下)。古代にも彼が著作を記した最初の人として知られていたようで、『自然について』『大地周行』『恒星について』『天球論』といったものを著していたといいます。アルケーという言い方はタレスではなくアナクシマンドロスから始まったという話もありますが、そのアルケーは、タレスとは異なり水ではなく「ト・アペイロン」だと言います。トはギリシア語におけるtheのようなものです。英語以外の近代のヨーロッパ語を学ぶと大抵冠詞やら名詞やら形容詞には女性、男性、中性という文法上の性に分かれ、これらのおかげで「これそれあれどれ」を見抜く時に役立ったりすることもあるわけですが、ギリシア語でトは中性になります。アペイロンは、a-が否定を意味するもので、peir-というところが「制限」だの「目的」だの「限界、境界」などを表わすところなので、最後に中性名詞を表す-onをくっつけて、apeironとなっていますから「境なきもの」「限りなきもの」「無限なるもの」などを意味します。これはどういうことでしょう。
彼は、師タレスのように何か一つのものによって世界が説明づけられる「一元論」に反対しました。アナクシマンドロスにとっては、どんなものも同じようにくくるよりはむしろくくり切れない反対するものがありふれているように感じたからです。熱さに対しては寒さがあり、生に対しては死があり、そうした反対同士のものが時間とともに移り変わっていくことが自然の理であると考えます。どんな生き物もやがては死に、氷もいつかは溶け、火もやがては消えます。こんな風に、ある反対同士なものが反対のものの方へと変わっていくことを彼は「時の定めに従って、不正に対する罰を受け償いをする」と言います。そして、アルケーとも呼ばれるものは、こんな自然の避けられない営みさえも唯一超え出て背後にある支配者でなければいけないと考えます。そのため償うことせず、反対なるものももたないもの、他のものと境界を接して、これだのそれだのと、必ず反対物が見つかるようなこの世の何かではないわけです。そのためこれは「〇〇」と規定できるものでもないので、「境なきもの」「限りないもの」「無限なるもの」という風に呼びました。これこそがアルケーで「ト・アペイロン」なのです。
ト・アペイロンと宇宙生成論
ト・アペイロンは先にも見たようにタレスの「水」とは違い何か無機質な、物質的なものを根源に置くのではなく、それ自体運動しながら世界全体に生気を与え、活力づけるものです。こういう世界の観方を「物活観 hylozoism」ということもあります。これはもう「水」という不動の一つではなく、運動するものなのですが、単に動的な原理というのでもありません。やはりそこにはヘシオドスが述べているように原初の混沌としてのカオスからあらゆるものが分離してきたという発想があると考えられるでしょう。ではアナクシマンドロスは神話的にものを考えた人だったのでしょうか?しかし彼への評価はむしろ科学的な思考の始まりの人であると見る見方がふつうです。
アナクシマンドロスが自然科学者の始めと言われる理由として、宇宙の秩序を彼なりに数学的に考えようとしていたことがあります。彼の想像する地球の形は『ギリシア哲学史』(2021)のp. 132ではサバ缶の形と表現されていますが、もうこれ以上落ちていかないこの地球が中心になって、月や太陽への距離やその軌道の周の長さがきれいな整数比になるように構想されます。
面白いのは気象から生物の成り立ちまでも考えているところです。まずアナクシマンドロスの考えでは地球は外側を火の輪で囲まれており、太陽は穴が開いてそこから見える火に過ぎないのですが、初め湿ったものに過ぎなかったものがその熱で乾いていったところに陸ができ、残った水のところに海ができるといいます。彼は例えば乾いた地面に見える貝の化石などを見つけて、「ああ、昔ここには海があったが、この貝は干上がりに間に合わなかったのだな」という風に考えました。古代における科学的推論です。少し驚いてしまうのは、彼がまるで進化論を先取りしているように、人間は魚として海を泳いでいたところから陸に上がったと推論しているところです。19世紀のシュヴェーグラーは『西洋哲学史』(岩波上巻p. 41)の中で「有機体の発生および進化にかんするアナクシマンドロスの観念は、近代のラマルクやダーウィンの説と非常に似ている。」と述べています。彼は人間の子供があまりに成熟するまで脆弱で自立するまでに時間がかかることから、こうした安定した集団生活を送る前は親が子供を保護するために持ち運んだりしただろうと考えるわけですが、それも大きい魚などにも当時観察できた習性から発想されたということです。彼の時代はまだまだ神話的な因果関係が成り立つと考えられていた時代でしたが、このようにすでに科学的な観察に基づいた推論を立ててものを散文で語るというスタイルを確立していました。地図や星図、日時計などを発明したともいわれる万能人的な知性は哲学にタレスよりも明確な科学的方向性を与えたといえるでしょう。
アナクシメネス
さらにその弟子アナクシメネス(Anaximenes 前587年頃-前527年頃)はタレスに連なるイオニア自然哲学者の最後の人と理解されます。その人生についての情報はほとんど知られていません。彼はアナクシマンドロスの「ト・アペイロン」という結局自然を超えた何かを自然の根源に置くことはできないとして、タレス流に戻し、彼自身はアルケーを「アエール(空気、霧)」としました。この「空気」派はそれなりに多く、彼のほかにもアポロニアのディオゲネスという人が主に人に通う息であり、魂という訳語もあてる「プネウマ」をアルケーに置いています。彼は大地さえもよく圧縮された空気であり、熱くなったり冷たくなったり、湿ったり乾いたりして様態を変えて、万物に変わることができるものと考えられるといいます。彼は自然哲学をタレスに始まる本流へと軌道修正していくのです。
地球に様々な物質がある以上、タレスのように「一元論」でものを語ろうとするときに困難になるのはその多様性をどう説明づけるかです。タレスがそこをどう考えていたかは分かりませんが、アリストテレスに従っていろんなところに水や湿り気を見る事のできる「共通性」にこれを取ったと考えるとすると、アナクシメネスは明確に「濃密化・希薄化」という方法を取りました。口をすぼめて息をフーと吹いてみると息は冷たく感じると思います。熱いものはそうやって冷ましたりします。一方口を開いてハーと吹いてみると息は温かく感じると思います。この現象にアナクシメネスはヒントを得ていました。狭い空洞を通る空気は圧縮されて濃くなり冷たくなり、水になり、やがては土、石になるといいます。土、石はともかく、水蒸気を冷やすと水になり、さらに冷やすと氷という固体になるということを知っている私たちからすると何か分かるような気がします。アナクシメネスは逆に薄くなり、温かくなると火になると言います。
今アナクシマンドロスの「ト・アペイロン」を見た後だと「空気」という物質的なものに帰るのは退化のように感じられるかもしれません。しかしそれは彼なりの吟味があってのことでしょう。アナクシマンドロスの拓いた科学的な道に従うという側面は例えば気象について述べているところに見て取れます。空気は冷えて雨雲となり雨を降らし、さらに冷えれば固い雹を降らします。さらに乾きは直接の原因にはならないと思いますが、雲の中から雷が割けてあたかも火のように生まれます。このように科学的な観察の視点に則って一応話を進めています。しかしその一方でそれら現象を「ト・アペイロン」と片付けることはアナクシメネスには納得できなかったのでしょう。そこにはまたもやギリシアの神話が顔を覗かせています。後にアウグスティヌスというキリスト教の教父も『神の国』において述べているように、彼は創造者としての神より先には何か宇宙や自然の及びもつかない存在が神々も含めすべてを生み出しと考えるのです。数々の神話において、最高神ゼウスでさえ「運命(モイラ)」には逆らえません。そのように彼は伝統的な宇宙生成と秩序、理法が宇宙、自然、そして人間にも共通して通っているものと信じています。しかもそれらが今現れているあらゆるものを神々さえ含めて生み出したと考えたのです。そうすると、「水」ではもはや覆えないところまで届くものを人の気息でもあり世界に満ちる大気である「空気」と捉えることは彼なりの妥当性を持った結論でした。このことから、一見してアナクシメネスは神話と科学の調停者だったのだと考えることができるかもしれません。どうでしょう。古代の哲学史における大家アームストロングなどは次のように述べます。長い引用ですが、アナクシメネスのみならずミレトス学派に対する総評になっていますので少し追ってみてください。
しかし神話とミレトス派の哲学との間には重大な相違がある。…(略)…彼らのいう第一原理は、ヘシオドスのようななにか神秘的な仕方で出てきたものではなくて、永遠に存在するものである(この点が最も重要な変化である)。また彼らは宇宙的な規模でものが変化するそのすがたを説明するに当って、擬人化や古い神話の人物を用いるかわりに、日常の観察にもとづき、日常の用語を用いているとともに、またその変化の過程を考えるに当ってもそれを脱擬人的に、すなわち自然必然的な運動という見地から行っている。だがこれは、ミレトス派の人びとが科学的な思想家であったということではない。彼らが与えた宇宙万物のあり方とその生成についての説明は極めて包括的かつ念入りに仕上げられてはいるが、それは所詮ばらばらに観察された若干の事実に基づいたもので、また十分に吟味された論拠に支えられているわけでもない。こうした見解を産み出す彼らの手法は、実際にはほんとうの科学者の手法というよりもむしろ神話作者のそれにいっそう近い。しかしそれはわれわれのだれでもが、科学者でさえもその専門領域の外では、ふだんものを考えたり話したりするにあたって日常行っているやり方である。ミレトス派の思想解釈にたずさわる現代の人たちが、時代錯誤を避けるために必要なあらゆる注意を払うとともに、彼らもわれわれの時代の人間によく似た普通の人間だと考えたならば、おそらく彼らをいっそうよく理解することができたであろう。彼らは、ギリシアの哲学者たちの他のどんなグループよりもわれわれの経験に近いところにいるように思われる。つまり彼らは宗教に反対ではなかったが無関心だった。新しい専門的技能に関心をもち、それに熟練していたがほんとうの意味で科学的な心の働かせ方をしなかった。自然現象に好奇の目を向けていたが、知らず知らずのうちに伝統的な諸観念に深く影響されていた。(強調は引用者)
アームストロング『古代哲学史』p. 6-7
ミレトス学派について
ここまで系譜的に辿ると、何か教科書を読んでいるような淡々とした調子によって、これらの問いの流れがさも当たり前に、起こるべくして起こって来たかのように感じられてきます。どちらにしろ人類は必然的にこうした問いにぶつかり、同じような説を唱えたのではないかと。いずれ、誰かが問うはずのことをタレスという人物がたまたましただけだと。しかし、だとしてもその方向転換には時代の大きな流れに逆らう、強靭な知性と勇気が必要だったでしょう。少なくともその誰かになったタレスは非常に重要な歴史的価値が与えられています。
なんといってもまず、「世界の始まりとは何か?」という問いの元々は神話的な問いでした。先に見たヘシオドスは『神統記』の中で全ての始まりはカオスであったと言います。それは「混沌」それ自体としては理解できず、そこから大地ガイアと天空ウーラノスが別れることになった何かです。この発生論は神話としては理解されても、謎は謎のまま残ってしまいます。科学や哲学にできたことは、古代の水準でも、現代の水準でも、この問いに仮説を与えられることにだけでしたが、それでもこれは現実にそのものを理解しようという営みでした。タレスをはじめミレトス学派の哲学者たちはそれを自身の観察と論理による整理によって神話とは別の統一からこれを行おうとしたのです。確かにアームストロングも言うようにこの時期の哲学者たちの思想には未だに神話的なところが多く、タレスはある意味では「水」の神話に置き換えたと言えなくもないかもしれません。しかし、それに続いた人たちによって明らかにされるように、やはり何か彼らの理解しようとした統一の方向は単なる神話とは別の方向を指していました。彼が哲学の祖として讃えられるのは、彼の功績だけには依らず、その後に続いた人々の問いに継ぐ問いにより紡がれた巨大な営みの始まりに位置付けられたためでしょう。
さて、そのように哲学が芽吹いたイオニア地方は、しかしさらに東の大国ペルシアの侵攻により状況が変わります。賢者たちも様々に散らばりますが、それらの一部はイオニアに残り、もう一方は南イタリアで栄えることになります。なので、かねてより哲学や貿易の都であり、ペルシアの影響下に置かれた、今のトルコのある小アジア地域に近いイオニアを中心としたギリシアの東の哲学と、始めはペルシアの影響から逃れ、後には様々な理由で南イタリアを中心にしてギリシアの西の哲学にこれからは別れていくことになります。ですので次からは東と西を行き来しながら、できる限り思想として一続きになるように話をしていこうと思います。
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今回の参考資料
・『哲学の歴史 第一巻 哲学誕生 始まりとしてのギリシア』
中央公論新社 2008年 責任編集:内山勝利
・『A New History of Western Philosophy In Four Parts』
Oxford University Press 2010 著:Anthony Kenny
・『ギリシア哲学史』
筑摩書房 2021年 著:納富信留
・『概念と歴史がわかる西洋哲学小辞典』
筑摩書房 2011年 編者:生松敬三、木田元、伊藤俊太郎、岩田靖夫
・『ギリシアの哲学者たち』
著:W.K.G.ガスリー 訳:式部久、澄田浩 理想社1973年
・『古代哲学史 タレスからアウグスティヌスまで』
著:A.H.アームストロング 訳:岡野昌雄、川田親之 みすず書房1987年
・『西洋哲学史 古代から中世へ』
著:熊野純彦 岩波書店2006年
・『西洋哲学史 上巻』
著:A.シュヴェーグラー 訳:谷川徹三、松村一人 岩波書店1939年

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