「 ギリシア哲学の夜明け前」
哲学とはそもそも…
哲学の始まりはどこであったか、正確な起源はよく分かりません。古代文明の人類の知的な痕跡をたどって、オリエント地域やエジプトにそれを求めることはできますし、実際この後紹介するギリシア人たちは彼らに天文学を学び農業に役立て、数学や測地術を学んで新たにギリシアに文明を築き上げていくために用いていました。しかし、では哲学はいつから始まったのでしょう?それは定めがたいものです。まず哲学とは何かという難題から始まります。それはただの思考とは何が違うのでしょうか?素朴に考えてみるならば、しかし哲学が測地術や暦学とは違うことはなんとなく分かるような気がします。
「哲学は何かに直接役立つものではないから、こうした便利な学問は哲学とは呼ばないのだ」
誰かがこんな風にほかの個別な学問を哲学から区別したとします。しかしだとすると数学はどうなのでしょうか。今でも数学はほとんどの学生の人たちには難しく、またそのうち多くの人たちにとって敵ですらあるかもしれません。往々にして子供たちは
「こんなものが何の役に立つの?」
とはばかりなく言ってのけます。一方で中学生くらいにもなれば一度冷静になって実生活を送るうえでやっぱり九九は必要だし、別に面積計算も憶えておいて損のあることでもなかったと考えなおしたりもするでしょう。すると連立方程式も三平方の定理もまあきっといつかは役に立つと思う日がくるのだろうと考えますが、高校生になって三角関数や微分積分をやりだすと段々再び何の役に立つものか自信がなくなって、複素数や極限といった分野をやりはじめるといよいよもう役に立つかはともかく割り切って今は受験やテストのためにやらねばならないものになったり、ああいっそ諦めてもっと別の身になることに精を出そうとなるのが大抵だろうと思います。大学でも数学を続けられた方なら、ここまで連なってきた役に立つのかという疑問も高度な学問の中で基礎から全体を見渡すことで、あらゆることに意義があったのだとお気づきになられるのかもしれませんが、しかし数学もそこまで丁寧に積み重ねられた高いところまで行ってしまうと、関わりのない周りの人間からはやはりこんなことを言われるかもしれません。
「あれはもはや哲学だよ。」
どちらが難しいだとかいった話はともかく、こうした言葉に見えるようにやはり哲学と数学は異なるものでしょう。しかし他の学問と比べてか、それまでのレベルと比べてか大学で学ぶような数学は哲学に近くもあるようです。ではこれらの違いや共通点は一体何なのでしょうか。奇しくも、哲学も数学も学問としての起源としては同じくこのギリシアに生まれたと言われます。それはつまり古代のギリシア人たちがただ数学や哲学をしただけではなく、自分たちのしているこの考えや議論が何によって分けることができるのかをよく考えていた証でもあります。そしてこうして築き上げられた土台の上にその後の世代の賢者や学者たちが歴史を積み重ねていくのです。私たちはそのうち哲学の方の歴史を見ていくわけですが、まずはそのはじまりの以前にギリシアには何があったのかを見ていきましょう。
西洋哲学の夜明け前
西洋の哲学の歴史となると、伝統は私たちにその始まりは古代のギリシアで、しかもその内でもタレスという人物に遡ると教えてくれます。ではこのタレスという人物が現れて急に、今にまで綿々と受け継がれる哲学の礎が築かれたのでしょうか。何事もまたそうですが、ある人、ある地点から急に今にまで続く形にパッと変わるということは大抵ありません。段々と、少しずつ、哲学は哲学らしさを獲得していくのです。そういう意味では、確かに彼は初めの人らしく、確固たる哲学者として現れたのではなく、様々な面でものを学び知っていった賢者であるという方が正しいかもしれません。彼もまた多くを学び、後世から遡れば、その知に哲学の源流を見ることができたのです。哲学の父も哲学を含めた万学の子として歩みを始めました。
では彼を初め、初期の哲学者たちの以前には何があったのでしょうか。それを知ろうとすると、私たちはある時から基本的には様々な考古学的な情報を頼らねばなりません。文字資料というものは実際のところ大して遡れるものではないからです。今にも伝わるギリシアの大哲学者たちでも、例えばプラトンの現存する最古の資料はもちろん彼の直筆のものではなく、中世で写された895年のものですし、アリストテレスは955年頃のものとされています。いずれお話いたしますが、その経緯も極めて複雑で、奇跡的なものです。そうなると、タレスからプラトンあたりまでの哲学者たちも、よく知られているとはいえ、もはや資料としては彼らの書いたとされる著作すらもまとまった形で遺されていないことがよくあります。そういう場合は、後世の誰かが引用した断片などに彼らの姿を覗き見るのです。そのためやはり、さかのぼるには限界があります。
では、やはり哲学を遺したタレス以前の思想は何も探り得ないのか、私たちの眼からしたら、タレスは消えた歴史の闇の中から哲学を取り出してきたのか、というと必ずしもそうではありません。
初期の哲学者以前にして、かつまさしくギリシア人たちの精神の尽きせぬ泉となった巨大な叙事詩が二編、古代には遺されました。詩人の名はホメロス(ホメーロス)。古代都市スパルタとトロイアとの神々を交えた争いトロイア戦争を描く『イーリアス』、そして『イーリアス』にもスパルタの智将として参加したイタケーの王オデュッセウスの冒険物語『オデュッセイア』の二編を著しました。もっとも、その量は確かに膨大であって(『イリアス』約一万五千行、『オデュッセイア』約一万二千行、両方とも和訳本で上下二冊)、その出来栄えの精緻さに関しても、一人の手によってものされたものとは思われないという声もありました。今でもこの議論は決着していませんが、現状彼以前の時代から固有のリズム(ヘクサメトロス)の形で諸民族たちが歌い継いできたものをある天才的なラプソドス(吟遊詩人)であったホメロスという個人が歌ったとされています。このようなことは実際可能だったのでしょうか?それについては若くして亡くなることになる、ホメロス学者でありましたミルマン・パリー(Milman Parry 1902-1935)が助手ロードとともに識字率が低く、パリーにはそれゆえ「純粋」とみなされていたユーゴスラビアの文字の読めない農民たちが歌い継ぐ叙事詩とホメロスの叙事詩とを比較する研究を行いこれを知ろうとしていました。彼らの紡ぐ歌も時に非常に膨大だったためです。それによって可能であったかどうかが証明されるわけではありませんが、それでも人間は文字を使わずに、また記憶のとっかかりとなる枕詞(エピフェット)を用いた歌であったら、かなり長い文章が記憶できるようだということはあらためてはっきりしました。日本にも様々な古典化したお話を身一つで語る落語家という一種超人的な技能の持ち主たちがいますが、この技能を目の当たりにするとあながち古代にそうした天才があってもおかしくはないような気になります。
さて、そのホメロスに並び称された人物として、もう一人の詩人を忘れてはいけません。ヘシオドスは、一人の農耕に勤しみ続けた篤実な人物であり、初めから最後までそうでした。しかし青年の頃、迷い込んだ洞窟で詩の女神たちムーサイの祝福にあって、類稀な詩の才をうけたと言います。ホメロスに対して、父の事情によって舟で渡った先の地に住まった経緯など、ヘシオドスは一人の人間として、伝説にしてもその出自が割とはっきりしています。彼の主著は神々の系譜を神話的に物語り、ヘシオドスモデルとでも言うべきギリシア神話の一つの輪郭を整えた『神統記』という著作と、人間の立場に立って農耕生活を中心とした倫理的教訓を描く『仕事と日』があります。両作品ともホメロスよりははるかに短く、一つの世界観を緻密に構成するよりも、凝縮された本質を言い表す点において優れ、彼は作家というよりも哲学者に近い資質、気質を持っていたのだろうと思わされます。それでも彼の唯一の自慢は、彼の住まった農村からすぐの島で行われた詩の大会において、ギリシア人の判定においてかのホメロスを下したことでした。新進気鋭の才人ホメロスに対して歳を重ね円熟された気風と技巧が玄人好みの観客に受け入れられたということもあるかもしれません、少なくとも後世のホメロスに対する讃えに対して意外なまでのこの決着は、少なくとも彼に疑いなき詩の才があったことを後世に教えます。その栄光のために青銅製の鼎(かなえ)が賞杯として与えられましたが、ヘシオドスはこれをかつて才を授けられたムーサイの洞窟に捧げたと言います。
(以下の画像に限らず、用いる画像はすべてパブリックドメインのものを利用しています。)

紀元2C頃
Louvre Museum所蔵

紀元前2C頃(ローマ時代の複製)
British Museum所蔵

(セネカのものと長らく思われていた。)
紀元前2C頃
British Museum所蔵
神話から哲学へ
ここにあって重要なことは、人間は個人として目覚めるよりも先に、自身の才や実力を神々との関連として考え、人生や世界についての根本的な疑問をも神々との生きた繋がりのもとに考えているということです。しかしいつからかのギリシア人の思想を扱う時に後世の人々はきちんと「ヘラクレイトスはこう言っている。」だとか「エレア学派の考えでは」と人間や人間のグループの考えが神々ではなく彼ら自身から始まっていることを認め、きちんと確かな名前を以て彼らを呼び出します。人間は、いつからか根本的な思索を人間から人間に対して語るようになり、当然その背後や周囲に神々はなおいますが、それでも生きた直接の関係というより、見守られている程度のものになっていきます。
神々の言葉から人間の言葉へ、神話的なものから哲学的なものへ、そうなっていったのはいつ頃だったのでしょうか。とりわけ、ここにおいてあらためてこう問うべきでしょう。いつ哲学は始まったのか、と。
『イリアス』や『オデュッセイア』は前八世紀頃、ギリシア特有の都市国家「ポリス」が形を成して来始めた頃に書かれたと言います。内容自体はそこから遡って前十二世紀末頃のことを歌っているとされています。この頃までにさまざまな英雄叙事詩がそれぞれの民族集団ごとに歌い紡がれてきたのでしょう、これがようやくホメロスの時代に文字にされたのです。彼の響きを伝え、その故郷であっただろう小アジアのイオニア地方は様々に混ざり合った都市の文化によって華々しく彩られ、この特有な風土の中で、前七世紀頃から、サッフォーやアルキロコスといった抒情詩人たちが生まれてくるのです。こうした詩人たちは、かつて民族集団ごとに語り紡がれた英雄的なことごとではなく、一人の人間の内に、今ここに懐かれるものを歌うのです。それは情熱的な恋心であったり、また命惜しさに誇りを捨てて敵から逃げる赤裸々な想いを語ったものまで様々です。
前七世紀や前六世紀、この頃からギリシア人たちは集団から個人へと意識が移り変わっていくという考えがあります。実際のところはどうだったのでしょう。しかし確かに、この頃から、後の時代によって「フィロソフォス(知を愛する者)」と呼ばれることになる人たちが現れて、神話と知的欲求がどちらも見捨てられず併せ呑んで乗り越えられていくようになっていくのです。
以下の文章は中央公論社から出ている『哲学の歴史』シリーズ(2007年-2008年刊行)の第一巻からの引用になります。
初期の哲学者たちは、神話体系のもつ深い叡知に学びつつ、それを新たなシステムに組み替えていった。しかもそのさい、旧来の神話や宗教が取り押さえていた世界の総体とその根源にあるものへの洞察をいささかも放棄することなく、新たな知の内に糾合することを試みていた。彼らの活動がたんに「科学」に収斂されず、 「哲学」という総合知を形成していったのも、明らかに、先蹤者としての神話と宗教的世界観のはるかな視野に拮抗する叡知の再構築を課題とし続けたからである。 『哲学の歴史 第一巻 哲学誕生』p.59-60
こうして、メソポタミアやエジプトからの知的財産と叙事詩を通した神々とのかかわりによって耕されたギリシアのイオニア地方、ミレトスという土地に哲学は芽吹き始めていくのです。次回はそこに現れる三人、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスについて紹介していきます。
次のパート 〈タレス〉
https://doma-on-the-margins-of-thought-history.com/western-history-part2/
今回の参考書籍
毎回、用いた参考書籍を都度掲載したいと思います。別ページでそれらもご紹介しますので是非ごらんください。
・『哲学の歴史 第一巻 哲学誕生 始まりとしてのギリシア』
中央公論新社 2008年 責任編集:内山勝利
・『A New History of Western Philosophy In Four Parts』
Oxford University Press 2010 著:Anthony Kenny
・『ギリシア哲学史』
筑摩書房 2021年 著:納富信留
・『概念と歴史がわかる西洋哲学小辞典』
筑摩書房 2011年 編者:生松敬三、木田元、伊藤俊太郎、岩田靖夫

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